自民党総裁選で岸田総理に負けてしまった河野太郎さん。実は河野さんの家族構成がすごいんです。太郎さんは総裁選に立候補しましたが、お父さんは自民党総裁を務めた河野洋平さん。そして祖父は副総理だったのです。
また弟さんは日本端子株式会社の代表取締役社長です。そして太郎さんの母の祖父にあたる方が伊藤忠商事の創始者なんですね。太郎さんの父方は政治家、母方は実業家。まさに誰もが羨むすごい家系なんです。
では河野太郎さんの家族構成を見ていきましょう。
その前に簡単に河野太郎のプロフィール
- 生年月日:1963年1月10日(63歳)
- 出身地:神奈川県平塚市
- 最終学歴:ジョージタウン大学国際学部比較政治学科
- 前職:富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)社員/日本端子社員
- 家族構成:河野香(こうのかおり)・息子
河野さんは慶応義塾大学に入学されたのですが、2ヶ月で退学後、渡米しジョージタウン大学に進学されたようです。ジョージタウン大学では元バスケットボール選手「パトリック・ユーイング」と同級生で、のちに国務長官になる「マデリーン・オルブライト」のゼミにも参加していたようです。
河野さんは顔色が悪いとみられてしまいがちですが、本人曰くアトピーだそうです。
【現在】河野洋平(太郎の父)は何しているの?
- 生年月日:1937年1月15日(84歳)
- 出身地:神奈川県平塚市
- 最終学歴:早稲田大学政治経済学部経済学科(スタンフォード大学に留学)
- 前職:丸紅飯田社員(現:丸紅)・ニチリョウ代表取締役社長・日本陸上競技連盟会長
- 家族構成:河野武子(妻)・河野太郎【長男】
1967年自民党公認で初出馬でトップ当選を果たし、2009年に政治家を引退。河野洋平さんは自民党総裁選を務めた経験があります。
河野洋平に異変が・・
76年に異常な疲れを感じるようになり、C型肝炎だと判明。しかし肝硬変にまで悪化し、家族の勧めで手術を受けることに。2002年4月16日に信州大学医学部附属病院で肝臓移植手術を受けています。手術は16時間もかかったそうです。この16時間という数字からわかるように大変な手術だったことがうかがえます。
親が子供に臓器を提供するのは聞いたことがありますが、子供が親に提供するのは稀だと思います。河野洋平さんは子供たちから慕われていた証拠ですよね。洋平さんは息子から肝臓を提供してもらってまでは助かる気は一切なく、太郎さんとの言い合いの末に移植手術を受けることにしたそうです。
河野太郎さんの母(河野武子)が1995年にガンでなくなり、「親父にはできる事を最大限したい」という太郎さんの強い気持ちを洋平さんは受け取ったそうです。手術後はC型肝炎の新薬を服用し、ウイルスは検出されなくなったそうですが、C型肝炎になった原因はわかっていないようです。
洋平さんはインタビューにこのように答えていました。
移植後は*免疫抑制剤「プログラフ」を1日2回、12時間ごとに朝食と夕食の前に飲んでいます。服用量は徐々に減ってきました。
引用元:ガンサポート
【2021年】現在、河野洋平は何をしているの?
47NEWSのインタビューによると政界引退後は洋平さんの母校である早稲田大学で講義を続けているそうです。
また最近の洋平さんの動きとして読売新聞によると
洋平氏は15日、都内の青木幹雄・元参院議員会長の事務所を訪れた。洋平氏は太郎氏の支持拡大に協力を求めたとみられる。
引用元:読売新聞
また2021年8月21日の投稿では元政治家として雑誌のインタビューに答える姿を取り上げられていました。また孫と一緒に箱根駅伝に出場している選手に声援を送るなど元気でいることが分かります。
ちなみに河野太郎は肝臓返せって思っているの?
河野太郎さんは「肝臓返せ」なんて一ミリも思っていなくて、母を失ったので「最大限できる事をしたい」と考えているようです。洋平さんの育て方や武子さんの育て方が非常に良かったのでしょう。また洋平さんには肝臓移植が必要になった時、一番初めに「肝臓を渡す」と言ったのは太郎さんではなく、妹の治子さんだったのです。
河野太郎の祖父「一郎」は副総理大臣だった?
- 生年月日:1898年6月2日
- 出身地:日本神奈川県足柄下郡豊川村(現:小田原市)
- 最終学歴:早稲田大学政治経済学部
- 前職:朝日新聞社社員/農林大臣秘書官
- 家族構成:河野照子(妻)/河野洋平(次男)
- 元副総理
河野太郎さんの祖父は河野一郎で、一郎さんの父は治平は神奈川県会議長も務められていました。河野家はだいだい続く政治家の家系ということが分かりますよね。因みに太郎さんにあたる大叔父にあたる河野謙三は元参議院の政治家です。
今の所河野家では総理になっている人がいませんので、一郎さんも天国から総理になってほしいと願っていたことでしょう。
河野家の家系図
河野家の家系図は政治家や実力者ばかりが集まっています。武子さんの方の実家も財閥で素晴らしいです。ドラマで一度華麗なる一族というのを見たのですが、まさにリアル華麗なる一族ですよね。
河野太郎の母の祖先はあの伊藤忠の創始者
河野太郎さんの母武子さんは1995年にガンでなくなっています。武子さんの旧姓は伊藤で、武子さんの祖父にあたる伊藤忠兵衛はあの伊藤忠の創始者です。伊藤忠と同時に丸紅という商事も設立しています。
実は河野洋平さんは丸紅で働いてい時期があり、そこで妻武子さんと出会ったのではないかと勝手に予想しています。河野家は政治家がたくさん集まる家系で、伊藤家は実業家が集まる家系ですので、ある意味最強ですよね。
武子さんの父は伊藤恭一(東洋紡績会長)、祖父は二代目伊藤忠兵衛、曾祖父は初代伊藤忠兵衛なんです。伊藤恭一の画像はありませんが、祖父の2代目と曾祖父の初代はこちらです。
河野太郎は3人兄弟
河野太郎さんは3人兄弟の長男です。正直この時代の人は兄弟が多い傾向がありますので、5人ぐらい兄弟がいるのかと思ってしましました。
- 河野太郎(長男)
- 河野次郎(次男)
- 河野治子(長女)
ここでは次郎さんと治子さんのことに詳しく見ていきましょう。
河野次郎(次男)
太郎さんの弟さんの次郎さんは日本端子株式会社(非上場)の代表取締役社長です。本社が神奈川県平塚にあり、子会社が中国に3社あります。
また河野洋平さんが大株主で役員を務めています。河野太郎さんは政治家になる前はこの企業に元常務として勤めていました。資本金1億以上で大企業という位置づけになります。またこの企業は非上場ですので、かなり潤っている大企業と言えます。
資本金を1億以上入れてしまうと、中小企業として認定されません。メリットや恩恵を受ける受ける為に中小企業のままにしておく企業は多いです。
河野治子(長女)
妹さんの治子さんの画像は見つかりませんでした。一般女性ですので当然ですよね。
河野太郎さんのブログ(2002年5月の時点)では治子さんは独身だったということが分かっています。当時の記事から20年ほど経ちますので、独身のままではないと思います。噂によると同級生の医師と結婚されたのだとか。真実はわかりません。結婚式での乾杯の音頭を切ったのが麻生さんだったという噂もあります。
父に肝臓を移植する際、先陣切って「私の肝臓をあげる」というぐらいお父さん思いの女性です。ぜひ幸せになってもらいたいですよね。
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